沖ヨガとは何か、その特徴は何か(龍村修)

沖ヨガのルーツ

沖ヨガのルーツは、戦後に沖正弘先生により結成された日本人国際平和奉仕団にあります。一人一人の心の中に平和心を生まれなければ真の平和な世界は来ないという沖先生の確信からです(沖先生ご自身は出来たばかりのユネスコの最初期の派遣奉仕員として昭和26年にインドに派遣されています)。政治的・武力的な均衡での平和は真実のものではない、という考えをお持ちでした。そうした平和運動を世界に出かけて行うためには、身体が強健で、心は幅広く深く柔軟でコントロール力があり、生活力があり奉仕精神が旺盛で、いかなる事態にも適応できる能力がなければなりません。そういう人材を養成する訓練に最適な訓練法・悟道法を東洋のヨガ・瑜伽に求められたのです。それで、釈尊やジナや各種のヨガを生み出したインドの五大ヨガ行法哲学、そして老子・孔子・陰陽哲学・道教・導引術等を生んだ中国の瑜伽、また自然(神)を畏敬し、その法則に則した生き方を実践することを目指す日本古来の神道や禅を通じて花開いた武道や茶道・華道の様な諸道・諸芸の道の精神文化、また人々を病気やケガの苦悩から救われる為にアジアの伝統的医療術などを統合化し、どこの世界に行っても通用するものとしてまとめ創造されたのが沖ヨガの内容になっています。

第一の特徴は「生命即神」

沖先生は幼少の頃、この子は育つかどうか?と親が心配して出生を役所に届けるのを躊躇するほど身体が弱かったと聞いています。父は天下国家を論じる人々や各宗の宗教関係者や健康法・医療法の関係者と交流が深い方で、日本に来られたビルマ建国の父と呼ばれたオッタマ僧正を自宅に招ける立場の方でした。母は妙好人(在俗念仏者)と呼ばれるほどの方で、何があっても「南無阿弥陀仏」と唱えられておられたということです。そうした精神的環境の中で育った沖先生の幼少からの疑問の一つは「神様」や「仏様」とは何に?ということでした。そうした様々な神像や仏像、神職や僧職の方々の姿に接しても疑問が解けなかったのが、ヨガと出会い実践することで、『古来人々が「神、神々」と呼んで畏敬してきたのは「生命」(全てを活かしている力、生命力、生命法則、自然法則、真理)のことだったのだ』、『「仏」は、全ての存在の中からその神性を見出す能力(仏性)なのだ』と悟られたのです。それで沖ヨガの行法哲学は、「生命」に聞くこと、呼吸・氣分・脈を指標にして、ちょうど良い行法の行い方を体得することを特徴としているのです。これにより、様々な神を信奉する結果として起こりがちな宗教的な争い、宗派間の争いを超える教えとされたのです。

第二の特徴は「求道ヨガ」

ハタヨガをルーツにする多くのヨガ(ヨーガ)が、開発者の技術の伝達を中心に普及している「技術ヨガ」に対して、沖ヨガの特徴は求道(真実・道を求める)を中心にしている点です。技術中心のヨガの場合はアサナ技術そのものの形や行い方が決まっているので指導員の形を真似ることが重要であり、いわば指導員に限りなく近くできれば上達した人ということになり、個性を活かすことが難しくなります。また形のABCが作りやすいのでテキスト化しやすく、普及しやすくなります。
求道中心の沖ヨガは、行法を通じてそれぞれの生命と向き合って、自然法則・生命法則(真実)の把握がまず中心ですので、一人一人の生命法則のあり方に特徴が出て個性が開発されて来ますし、他に伝えるにもその人の個性が活かされてきます。各々のポーズ出来具合が即、上達の指標にはなりません。自然・生命の法則(真理)がわかって来るほど生き方が豊かになって行き、古来言われる「悟りや解脱」に近づいて行きます。
沖先生が自身の開発創造したヨガを求道ヨガと呼ばれている理由は、現在世界に普及しているヨガは本来の姿ではない、シャカやジナを悟りに導き、人々を苦しみから解放するあり方のヨガが本来のヨガだとされているからです。それは戦中・戦後のインド滞在中に30以上のヨガアシュラムを訪ねた経験からです。沖先生が自分のヨガの師匠とされている一人はマハトマ・ガンジーであり、沖ヨガ修道場修行スタイルの原点はガンジーアシュラム(セワグラムアシュラム)とされています。

第三の特徴は「十段階」(修行・修養・修業の階梯)

 詳細は別に述べますが、一般にヨガはパタンジャリの八支則で解説されていますが、沖先生は、禅寺での修行、ラマ寺での修行、キリスト教の修道院の体験・イスラム教の教えやダルウィン教団での修行体験等を通じて、禅や密教の悟りの瞑想だけでは、人々が本当に救われる為、真の悟り・救われ・信心の為には不十分と気づかれ、八支則にはないバクティー(祈り・信仰行法=心の放下行法)、ブッディー(仏性啓発行法)、プラサダ(歓喜法悦行法)を加えられました。

第四の特徴は「総合ヨガ」

沖ヨガには総合的・生活的で多彩な行法が有ります。部分専門的なヨガの場合は、その開発者が体系立てたアサナや呼吸法を実践することがヨガをすることになっていますが、沖ヨガは基本ポーズ、浄化法、強化法、修正法、呼吸法、瞑想法、正食事行法、二人組行法・集団行法、ヨガ療法行法・整体指圧行法、武道・芸道などと多岐にわたっており、しかもそれを個性別に生活化することを本旨としています。沖ヨガの一部分のみを見た人がそれを沖ヨガと思って、誤解したことを言ったり書いたりしています。例えば強化法を見た人は、沖ヨガは軍隊や運動部の様なことをしているヨガでしょう?とか、浄化法を見た人は、鼻で吸って口で吐くのが特徴でしょう、とか、ゆっくりストレッチ的にポーズをして鼻で呼吸するのがヨガだ、と思っていた人は、その違いに驚きその様に言います。ヨガ関係の雑誌では、多くのヨガをその強度やスタイルの特徴で初心者向きや中級者向きですと分類しています。まるでエアロビクスやダンスのエクササイズの様に肉体に及ぼす影響を中心に分けているのです。ヨガは身体のエクササイズではないのにそうしています。沖ヨガはそのような分類には入りようがありません。行法の種類が多彩だからです。(行法とは法則を求めて行う行為の意)

第五の特徴は「生活ヨガ」

武道や芸道の様に日本の「道」の文化は、生活に活かされている姿をより本質としていますが、現状のヨガの多くは、お稽古ごとになっていて、そのグループのヨガのポーズを行うことがヨガの実践になっていますが、沖ヨガは各種の行法を通じて、体の法則や心の法則を掴み、自己の生活に活かして、自身の生活そのものをヨガすることを本旨としているのです。諸道の達人は皆似たことを言いますが、それは道を歩むことを大切にしているからです。

第六の特徴は「一人一ヨガ」

例えば各種のポーズや呼吸法もいくつかの特徴がありますが、個性開発を大切にしています。一人一アサナ、一人一呼吸法、一人一食事法、一人一瞑想法であり、それが可能になる原理を説いています。一人一人が自分のヨガを確立して行ける方法と考え方があるのです。個性を活かした生き方をすることが、この世に人間として生まれた価値と考えるからです。

ぜひこれらの考え方と方法を学び活かして、沖ヨガの原点である平和運動、日本人としての特徴を生かし、世界に通じる行法哲学を実践し、自己の心身生活の開発・啓発を行って人類の健康・幸福・平和、さらには全ての生命の平和に貢献しましょう。